着物をきて日常を過ごしていると、大きく変わるのが肩の使い方と足の使い方です。
今回は肩と意識について少し書いてみようと思います。
着物での肩の使い方は洋服とは違って独特です。
着物にあった立ち居振る舞いを行うと洋服では首肩を使っていたものが、着物をきれいに着られるようになると肩甲骨を使うようになります。
私は週に1、2回ほどしか着物はきていませんが、この首・肩・肩甲骨の使い方で意識は自然と変わっています。
肩甲骨を使った方が細かく丁寧に行っているんですね。
頭を使わずに目に入る情報に沿って動けるという感じでしょうか。苦もなく動けると言うか動いてしまいます。体がスイッチになって勝手に動く感じで、体と意識の連携で無・意識状態ですね。無意識と意識が重なり合っています。
五感を使った生き方で、思考の介入はない感じでイメージで言うとフラッシュ暗算のような感じかな。
また、私は意識はスクールでも伝えている中心に置いているので体全体も掴めてとても分かりやすいので分かるのですが、このスイッチが入っていないと思考で動かそうとして思考から体への真逆スイッチになり感情の介入が起こってしまうんですよね。
体のスイッチを使った生き方と思考のスイッチを使った生き方。そんな感じでしょうか?
体のスイッチって思考の介入を許さないんですよね。現実にしっかりと根付いている。
この意識になると、世の中のHOTO本っていらない。と言うか邪魔になる。考え方真逆の発想だから知識がある分返って邪魔する材料にしかならない。
無意識がちゃんと分かればいいん。無意識が分かるのが目覚めるってこと。
だから五感使って生きた方が無意識と意識で生きられるんだよね。
現代は意識と無意識が真逆のもの作っているから無意識に感情が混ざり合ってる。
だからどうでもいいことに執着してしまう。
感情が混ざり合っている人と、意識・無意識があっている人の大切にするものは全く違う。
どうでもいいものに、時間もお金も労力も使わないんだよ。
エゴを埋めるためだけのものなんて何にもなりはしない。エゴがなくなった時空虚しか残らない。
この肩の使い方だけでここまで意識は変わってしまう。
人間の体のそれぞれにスイッチがあるのにこの1つだけでもここまで変わるんだから、色々と変わってくるとどうなるのだろう?
これからが楽しみです。